聴覚障害を持つ子を育ててみて

聴覚障害を持つ子を育ててみて

1997年口唇口蓋裂、背骨の側弯、聴覚障害をもった長男が誕生した。
さらに彼が中学生の時、広汎性発達障害も判明した。

ひとつひとつの障害に向き合いながら、たくさんの方の助けと励ましをいただき、想像していた以上にたくましく成長し現在は幸せな日々を送っている。

私は26歳のときに妊娠した。しかもできちゃった婚だった。
「努力して良い点を取り、良い学校に入り、安定した就職先に入ること」
さらに「良い人を見つけ結婚し、出産すること」=女性の幸せという暗黙の雛形が今より濃かった時代である。

それまでは、ぼーっと「人生ってそんなものなのかな」と与えられるがままに過ごしてきたように思う。
この頃の私は
「自分が頑張りさえすればなんでもなんとかなるものだ」と信じていた。
これまでの義務教育で染み付いていた考えをベースに「努力さえすればよい」とそう思い込んでいたのは仕方のないことだったのかもしれない。

そんな私が「障害を持つ子供を産み、育てること」=「自分だけががんばってもどうにもなんにもならないこと」にいきなり思いっきり直面した。

「幸せ」は努力によって得られるものかなと考えていた昔。
しかし人生はそういうものではないと確信した。
与えられた環境や条件、受け取ったものがどんなものであろうと、
それは後々に「愛」とはなにか。を学んでいくためのものなのではないだろうか。と思う。

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経験を思い起こせば簡単にトピックをあげたとしても
・生まれたわが子に障害があった時の事
・口唇口蓋裂の事(顔の奇形)
・生まれつき聴こえないとはどういうことか
・言葉(母国語)を使えるようになるには
・発達障害とまわりとのかかわり、対応
・自立への工夫・道のり
・そもそも「障害」って何か
などなど、彼の障害を通して社会を考えるきっかけになった事が多くひとつひとつが非常に濃い。
いろんな場面において貴重な経験をさせていただいた。

大きなプラスチックケース3箱にもなる「先生方との連絡帳」「日記」「本人との絵筆談日記」を整理し、参考にしながら細かく当時を思い出している。
これまで助けていただいた方への感謝と、私の多くの経験が現在子育てに悩む多くの方に少しでも励みになればという想いで公開に至った。

母として絶望感、喧嘩、怒り、小さな喜び、大きな喜び、感動、、、様々かけがえのない経験をさせていただいたわけだが、
その一つ一つの経験が「私自身の活動の表現の道」に繋がっていると思えるようになった。
すべての経験はかけがえのない宝物に変わるのだなあとつくづく思う。

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現在彼は作業所で勤めながら
息子が小さいときから大好きだったぞうや犬のイラスト活動をしている。
小さい頃よく見ていた象は記憶の中にあるようで、何も見ないで象の家族を描くことができる。

作業所ではランチタイムにコーヒーを入れたり、創作活動や野菜作りをしたり、と周囲の理解を得ながら楽しく通っている。

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今、昔のことを振り返って、
まさか20年後イラスト活動を楽しんだり、お客さんにコーヒーを入れて美味しいと言われたり、最高の仕事場で仕事をしていることなんて想像もできなかった。

聴覚障害があるゆえに
日本語で会話できるようになるまで「絵筆談」をしていたという事は
「お互い伝える」ために必要だったから親子でやってきたことなのだけれど、それが今につながり、彼自身がイラストを描くようになったというのは自然な流れなのかもしれない。

彼のイラスト活動でそのイラストをお客さんが心から喜んでくださったとき、またその活動のおかげですばらしい人々と繋がりあえた時
感謝の気持ちでいっぱいになる。

その時は一つ一つが大したことないように思えたことも、ひとつとして無駄なことはなく、すべて幸せになっていく道につながっていっているのだなと思う。

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