16. ことばは「育つ」もの

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これは私の経験談です。続き物になっています。

たくさんの障害を持って生まれた息子。
1歳になるまで様々な検査をし、ひとつひとつできることをやってきた。
「聾」であることを6ヶ月の時に医者から告知された後、聴覚口話法の日本聾話学校を紹介された。
9.聾だと宣告される

キリスト教教育

この学校は日本で唯一の私立のキリスト教の聾学校で、乳幼児部・幼稚部・小学部・中学部がある。

個人的には聖書の話や礼拝などをとても大切にしているキリスト教教育と言うところが大変気にいっていた。

我が家はキリスト教ではないが、子供に「祈ること」や「神様に感謝をする」ということを日々の生活の中に根付かせていくというところが素晴らしいと思った。

私にとっても障害のある子供を授かり、出口の見えない不安や自分の努力だけではどうしようもない状況の中、
聖書のひとつひとつの言葉が身にしみてほんとうにありがたかった。

礼拝の後メッセージの書かれたきれいなカードをひとりづつもらってカード帳に貼っていくのが日課になった。

聾児にどうやって「ことば」の存在を知らせるか

乳幼児部(~3歳)はほぼ「親への教育」的な要素が強く、
家庭生活でどう子供に接していくか?というところのアドバイスがメインだった。

一カ月に一度ほど「親に対しての講義」があって、補聴器の話や耳の話、聞こえの話などを勉強していった。

(一つ前の投稿でも書いたが)この学校は聴覚口話法の聾学校なので手話や指文字を使わずに徹底して「耳」を使う教育だった。

通常(聴覚に障害のない)赤ちゃんに、(私たちがそうだったように)「ことば」というものを親があえて意識して「教えている」わけではない。

「ことば」は教えるのではなく、人間関係(とくに親子関係)の中で育っていくものだという。

「ことばを育てる意識」より前に「人間」を育てる意識が大切である。

樹木で例えるなら
土台の根っこにあたる部分の「情緒」が安定してこそ「自主性」や「社会性」が身につき、「ことば」や「知識」にあたる部分は「葉っぱ」にあたる部分であって、まずは根っこをしっかり育てる必要がある。

この順序が大切である。

これは、聞こえない子だけではなく健常の子にでもあてはまる。

通常赤ちゃんは、お腹がすいて泣いたときにお母さんが来てくれ、
「はい。はい。おっぱいね」とか「あ。もうおっぱいの時間か。」など、自分の欲求にお母さんが答えてくれた時の「ことば」を毎日毎日繰り返し聞くことによって、「おっぱい」という言葉が身につく。

毎日の生活、経験があって本人の心からの訴えや要求、そしてそれに対しての応答、これに「ことば」という記号が単純に乗っている。

経験と共に繰り返して耳にすることで生きた「ことば」がその子のものになる。

聾児への聴覚口話法に関して言えば、赤ちゃんにぴったり合った補聴器をつけ、日常の中で根気強く丁寧に接していくことによって、聾の赤ちゃんでもやがて声を出すようになり、そして声を出すようになったら赤ちゃんの代わりに言葉や文にして返してやる。。

と言った繰り返しが「ことば」を育てるという。

そのためには親や先生が子供の様子・特性を事細かに観察することが必須となる。

たとえまだ声が出てなくても子供がその事に関心があって「それを見ている」と言うだけでもことばや文章にして返してやることはできる。

「おなかすいたねー」とか、「あーお花きれいだねー」などなどあくまでも子供の気持ちに沿っていくことが要となる。

赤ちゃんの欲求は生後何カ月かは生理的なものばかりだが、やがておすわりしたり、歩いたりするようになると興味の対象がだんだんとひろがっていく。

さらに小学部へ入るとお勉強が入り担任の先生にあずかっていただく時間がおのずとから増え、集団の中に少しづつ入っていくわけだが、
その中間地点である幼稚部までは、生活の事細かい部分に関してまで聾学校の先生と共有していく必要があった。

例えば。。
「今日はこういうことに関心がありました、こういう時にこういう声を出しました。こういう事が出来ました。褒めてあげてください」となどなど「ことば」の面もさながら、トイレトレーニングや食事など生活の延長の部分に関しても同様である。

家でどういうことがあったか。どういうやりとりをしたか。の日記を毎日書いて先生に提出するようにいわれた。
先生は赤でアドバイスを事細かく返事してくださった。

聾学校の入園式は4月だったが、補聴器を初めてつけたお耳の誕生日の後、担任の先生を紹介されたのちに即、日記が宿題となった。

聾児の子育てに先生方との日記のやり取りと言うのはものすごく大切だ。(中学部・場合によってはその先も)

ある程度言葉らしいものが身に付いた小学部以降でも、子供は言葉も文もまだまだ不明瞭で、文の組み立てもまだおかしいときもあり何を言っているかわからないことが多いので、学校での状況を共有していないと親としても困る事が多い。
例えば幼稚部・小学部に上がると友達とのトラブルがあったり、また様々なシーンで学校であったことの中で本人の言いたいことを汲み取っていかなければならない場面というのも多々出てくるからだ。

(都立の聾学校の話だが、昔は小学部になっても毎日授業中も親が後ろで見ていないといけなかった時代があったそうだ。。。。ある程度は把握したい気持ちはあってもさすがに一緒に毎日付添授業、、となるとちょっと引いてしまう)

先生との日記のやり取りは学校が変わって高等部まで続いた。

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