9. 聾だと宣告される

9. 聾だと宣告される

これは私の経験談です。続き物になっています。

聾だと宣告される

息子は生まれつき片方の耳は開いていたけれど、もう片方はふさがっていた。外耳道閉鎖という。(現在も)
聞こえているか・聞こえていないかに関しては
8. 聾児赤ちゃん期・ねえ。この子聞こえてる?にも書いたが、
出産後での実家の暮らしで息子の聴力に疑いを持ち、母と何度かテストを(ドアの開け閉めで反応があるかどうか)してはみたが真相はわからなかった。

なにより赤ちゃんとしての世話に追われる毎日に加え、
背骨の奇形が心配だったし、
最初の受診は鼻の形成外科だったし、、
さらに目の動きもなんだか少し気になるし、、「聞こえる?聞こえない??」という意識にあまり集中していなかったように思う。

素人考えだが、
ふさがっている方はやっぱりあまり聞こえてないんじゃないかなあ、、、でも開いている方の耳は少しくらい聞こえているんじゃないかな?
と一途の望みが少しあった。

現に音がした時こちらを向く時も「たまに」あったし、ホントのところわからなかったけど、今思えば「聾」の世界というのは自分の想像外であったようなそんな感じだった。

ブルーの曼荼羅サンキャッチャー

(曼荼羅サンキャッチャー:作品)

息子が6か月になった頃、神奈川県立こども医療センターの耳鼻科にてABRなどいくつかの聴力の検査をはじめて受けた。
ABRは眠らせてから脳波を取ることで聴覚に障害があるかどうかがわかる検査である。

検査結果が出て診察室に呼ばれ、担当は若い男の先生だった。
「重い難聴です。絶望的で施しようがありません
と言われた。

「聾です。専門の教育機関に行かれることをお勧めします」

医者は現実を伝える使命があるのはわかるけど。。。もうちょっと、ほんの少しのかけらでもいいから、、、なにか希望の持てるような言い方は出来なかったのだろうか。

その時の先生の名前も顔も雰囲気も耳鼻科の先生がつける頭に付いている丸い鏡も今もビジュアルを覚えているので私にとってかなりショックな瞬間だったに違いない。

とにかくなんだかあっさりと「絶望的な事」を言い渡されたような雰囲気で、よく頭が整理されないまま家路に向かい、夜、主人の実家で義母や主人の兄弟に報告した時、大泣きした。

ずっと後の話だが、聾学校へ通うようになって他のお母さんたちの告白を聞くとやはりわが子の聾宣告の場面というのは皆かなりの衝撃で、
子供と一緒に死のうかと思った。といった話をよく聞いた。

私もショックはショックだったけれど、幸か不幸か他の障害のことの方が心配だったせいか、子供と一緒に死のうかまでは思いつかなかった。

医者が両親に現実を伝える使命は当然ある。
しかし人は言葉によって元気づけられたり、言葉によって殺されたりするのだ。
両親が現状を把握することは大切なことだが、告知の言葉の選択によって両親がどう受け止め、今後赤ちゃんの育児に前向きにあたっていくか。をイメージしてほしいと願う。

しかししかし。。。
「聞こえない」ってどういう世界なんだろう?

イメージがいまいちわからない。
今までどおりに話しかけたり、
音の出るガラガラで遊んではみるものの「あ。これも聞こえてないんかなあ。。」と思ったりもした。
でもどうも想像ができない。

その時の私たちには当然ながら普通の、「聞こえる両親が聞こえる赤ちゃんを育てる方法」しか知らないわけで、「聞こえてない」と言われても、この時点では今まで通りの接し方でやっていくしかなかった。

聾教育は早いほどいいというので近くの聾学校の乳幼児部を病院から紹介してもらう事になったが、息子の場合は10か月の時に形成の手術をする予定だったのでそれが終わってからの方がいいでしょうという事になった。

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