2. 切迫流産!バタバタした妊娠生活

2. 切迫流産!バタバタした妊娠生活

この子育て記事は私の経験談です。続き物になっています。

切迫流産!

新しい職場に移ってまだ2-3か月。妊娠がわかっても当然のように通勤していた。

3階建ての事務所で、2階部分が仕事場、1階は会議のスペースがあった。

コピー機だけがどういうわけか1階にあったのだが
「これコピー取ってきてよ」と何度も何度も2階と1階の往復をさせられた時はさすがに身体がきつかった。
でも何も言わず上司のいわれるがままに従っていた。新しい職場でしかもすぐ妊娠、、「身体がきついです」と言えず頑張らなくてはいけないと思いこんでいた。

その当時の私自身、自分のお腹にもう一人の命が宿っているんだという責任感のようなものがなく、
別にいつもどおりにしてればいいんでしょーー。しんどくてもちょっと休んでがんばれば平気でしょーーという感じだった。

産婦人科選びも超テキトーで、事務所に近いそこらへんの産婦人科を選んだ。
産婦人科であるのにもかかわらず診察室で先生が煙草を吸っていた事が印象的だった。(今ならありえない)

ところが、妊娠7-8週目あたりで突然の出血。。。
「切迫流産」と診断され、落ち着くまで自宅で安静にしているようにとのことで約1か月ほど休職することとなる。

「切迫流産」とは妊娠21週目までに流産をしかけている状態で、妊婦さんの15%が経験する。
胎児の染色体異常や母体の子宮内の病気や炎症、ストレスでも発症する。

この時注射と薬を処方され、先生の言われるように素直に従った。

のちに出産後、子供に先天的な異常があったことで「妊娠7-8週に何かありましたか?」と詳しく聞かれることとなる。

職場で私はお荷物?

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つわりこそあったが体調が安定し、先生の許可が出たのちにまた事務所へ復帰した。

体調を気遣ってか、事務所から一駅分ほど離れた仕事が少ない配属先に配置された。
「仕事が少ない」というよりも朝出勤して2-3行の会計の帳簿を書いて終わり。夕方までなにもなし。デザインの仕事のかけらもなかった。

そんな所じゃなくてデザインの仕事がしたい。という気持ちよりも、転職して何カ月かで休職願いを出したくらいなので会社に遠慮してた気持ちの方が多かった。

そこの、所長さんがとてもいい人で、そしてなによりも楽だった。

携帯電話がまだコギャルしか持ってない時代。(コギャル!!)

所長さんが電話機の子機(今でいう家電)をポケットに入れて、
「何かあったら電話してねー」と下のパチンコやに行った間、ボンボンベットでごろごろしていた。

配属先ではゴロゴロして平和にしていたが、事務所では自分が「お荷物」な存在になってきているんだなあ。。とその後感じていった。

異様なお腹の張り

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実家の両親に妊娠報告後、1か月ほどして「あなたの人生なのだから好きにしなさい」と許しをもらい、6月頃二人で実家へ挨拶に行った。

安定期の10月頃、彼の亡くなったお父さんのお墓のある神奈川のお寺で仏式の結婚式を挙げましょうということに決まった。

式の段取りなどは私が身重なのを気遣って義母がかなりがんばってくれた。
とはいえど、何度か式場に足を運び、ドレス選びも式場のドレスではデザインが気に入らなかったので、明治神宮の明治記念館までレンタルしに行ったりしていた。体にはかなり負担を強いていたと思う。

10月10日の結婚式は、関西からも親戚が来てくれて、小さいながらも素晴らしい披露宴となった。
最初は心の整理のつかなかった両親もあたたかく祝福してくれた。

様々な結婚式の準備、当日の式と披露宴のために早朝からバタバタすることになり、安定期とはいえ夕方からはこれまでになくお腹が張りまくってとても苦しかった。

一般的にも妊娠中は「お腹の張り」を大なり小なり経験するらしいが私の場合半端ではなかった。

ちょっとでも疲れるとお腹がすぐに石のように固くなってしまい、落ち着くまでその場にうずくまってしまうほどだった。

初めての妊娠。
自分では「あれ、、?妊娠ってこんなもの??」と軽く考えていた。

今から考えると二人目の妊娠の時も確かにお腹の張りはあったが、すぐに収まる軽いものだった。

妊婦が一見元気そうに見えても、そういった日々の小さなサインは要注意である。
ことに「初めての妊娠」はわからないことだらけなので小さなサインも見逃すべきでないと思う。

その後彼の実家の斜め前の家を貸してくださることが決まり、都内にあったワンルームマンションから引っ越すことになった。本来引っ越しも身重にはきついイベントである。

不思議な感覚

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そんな引越しあり、結婚式あり、通勤もあり、のかなりバタバタした妊娠生活だったのだが、
心の中は「幸せ感」に満たされていたのか、体調が悪い時でも、職場で嫌なことがあっても、腹が立たない・気にならないというような感じだった。

開き直っていたというか、いつもの私ならすぐカチンとしてしまうことも簡単にスルーすることが出来ていた。

不思議な感覚を何度も経験した。

道を歩いていて、通りがかりの犬や子供、植木、花などを見た時、
泉のように心から湧き上がる「うああ。なにこれ!なんて愛らしいんだろう!」というこれまでに味わったことのない感覚。。。
そして、その葉っぱや花の境界線がキラキラ光っていた。

状況と体調をよそに心の中は幸せで満ち溢れていた。

葉っぱのサンキャッチャー
その時を思い出して作ったサンキャッチャー

赤ちゃんに会うのが楽しみ♪

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彼はお腹によく語りかけてくれていた。

そして出産予定日が2月の中旬頃ということで
「ねえ。バレンタインデーに生まれておいでね~」と何度かお腹に伝えていた。
本当にその日に生まれてきたので語りかけをよく聞いていたのかもしれない。

当時『たまごクラブ』という妊婦向けの本があって、自分の妊娠周期と「その時の赤ちゃんの様子のイラスト」を逐一チェックしていた。

本に直接「今日はよく動いた。」とか「もう20週目に入って何センチになった。」と細かく書きこみをするのが楽しみだった。

テレビや本で目にする赤ちゃんの写真を見てはその都度「私にももうすぐだ!!」と幸せな気持ちになった。

赤ちゃん服の編物の本を買って赤ちゃんニットを編むのが楽しくて、
一段出来るごとにもうすぐ会えるわが子を抱っこするのが楽しみで仕方がなかった。

「私の赤ちゃん、どんな顔してんのかなあー。早く会いたいなあーーー」

いまだに大切に取ってあるワクワクしながら編んだ赤ちゃんニット。(上の写真)

義母は前から「早く孫の顔が見たい。抱っこしたい」と言っていて、私たちの赤ちゃんが生まれるのを本当に楽しみにしてくれていた。「初孫」なので楽しみひとしお。といった感じだった。

あの。里帰り出産したいんですけど

たまごクラブにいろんなお産の事が書いてあって、その中の「水中出産」に妊娠当初ちょっと憧れていた。
浮力でリラックスしながら出産できる自然なイメージのお産に思えたのだ。

そのことを実家の母に相談したら
「最初の出産は特に何かあった時が怖いからとんでもない!」と反対された。

自分は違う、何かあるなんて他人事なんじゃないの?と思ったけど
実際「何かいろいろあった」出産だったわけで、後になっては母に感謝だ。

関西の実家の近くの産婦人科で出産するためにこれまでお世話になった(最初適当に選んだ)都内の産婦人科に里帰り出産をしたい事を告げに行った。

「あの。里帰り出産したいんですけど」
「えーーー!なんだよ(怒)何で最初から言わないの!?」
とひどくとがめられてしまった。

検診の後、
「先生、お腹の子は男の子でしょうか。女の子でしょうか?」
「知らねえよ。出産する病院で聞きな!」
と突き放されてしまった。

・・・・・産婦人科って「出産」で儲けてるのか。。。と心の中で思った。

里帰り出産は何を準備したらいいのかわからないので、たまごクラブに書いてあった通りに準備し、産休をもらって神戸へ里帰り出産のために帰った。

出産先の産婦人科は、私が9歳くらいの頃、母が婦人科系統の病気で入院、大手術した大変お世話になった病院だった。
駅から病院の母の個室の窓が見えるのだが、母を見舞いに行った帰り駅から母に手を振って別れるのがさみしくて泣いたのを覚えている。

里帰り出産でお願いすると、婦長さんから病院内を案内してもらい、いろいろと説明を受けた。
阪神淡路大震災から一年も経っていない頃だったので、廊下の隅に震災の名残が少しあり、出産費用も「困った時はお互い様価格で」ということだった。

 

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