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作品・日々の観察・制作

伊豆朝日に照らされた海岸

父との最後

48日間の心の準備期間はあったけれど、父は急に逝ってしまった。
父が死んでしまったことで心の整理をなんとかしようとしていたわけだが、私は自問自答した。

・「人が死なないこと」を私は望むのか?→それは困るだろう。
・「親が死なないこと」を望むのか?→。私のほうが先に逝ったのでは両親の悲しみが大きい。やはり順番というものがある。順番どおりなので良かったのではないか。

・48日間という時間は与えられたわけだが、急に逝ってしまったことについて→苦しい長患いするより良かったのかもしれない。

これは避けることができない私の経験なんだと、自分を納得させた。

どういうわけか。人は自分の死期がわかるのか?
父が倒れるつい少し前に母にこう言ったそうだ。

「おまえ。わしより先に行くなよ」と。
その時母は胆石が見つかり、他にも心配な箇所があって具合が良くなかったのだ。

しかし親が亡くなると本当にやることがたくさんあるものだ。

私は父の書斎を整理する担当となった。

父の書斎は3月に倒れたときのそのままの状態だった。

3月のままのカレンダー。

3月の末に倒れて、5月に亡くなっているので、「令和」というキーワードを聞かずに亡くなってしまった。
書斎のデスクの上の万年筆もそのままだった。

なにせ、昭和11年、モノのない時代に生まれたので「捨てたらもったいない」とあらゆるものを仕舞っていたような書斎だった。

昔(それも何十年まえの)行った旅行のパンフレット、
若い頃の給料明細書、手紙、父と母との結婚式の寄せ書き、旅行のお土産の鈴、、etc
本に至っては、父の父(祖父)の本、大正や明治の本まであった。

戦前・戦中・戦後・バブル・・・その際の社会情勢や政治経済の本・精神世界の本が多かった。

しかしすごい時代を駆け抜けたんだな。お父さん。

古くてエネルギーとしては重い物だらけだったけど、一つ一つ手を止めて、その時の心持ちなどを都度想像してしまった。
片付けはめちゃくちゃ遅かったと思うけど、父が生きたすべてがあの小さな書斎に詰まっていた。

とにかくものすごい量!

片付けるのは大変、といえば大変であったが、ひとつひとつ見て、捨てたり整理したりするうちに、
父の「人となり」が見えてきたような気がした。

父は「亡くなった」のではなく「82年間生きた」のだ。そう思う。

書斎片付け担当で良かった。

処分するのには勇気のいるものも中にはあったが、前を向いて生きていくためには勇気を出して処分しなくてはいけないものばかりであった。

これでいいんだ。これで。

淡々と片付けの手を進めた。

苔