works

作品・日々の観察・制作

どう生きるか その2

あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って『わたしにはなんの楽しみもない』というようにならないように

コヘレトの言葉

「どう生きるか」人生で何度も自分に問うテーマだ。

テーマ自体は非常に漠然としていて、様々な要素を包括する大きなテーマだ。

「どんなときも楽しみを見出す人生」


「笑いの絶えない人生」


そういう大きなくくりも大事かな。
常に口にだしたり、書いたりすることで本当にそういう人生になっていくのだから。

人生は選択の連続だ。自分に合った職業やライフスタイル選択を都度していかないと自分の中で不調和をきたしていく。

そのためにも「自分を知る」ということが大切になってくる。

自分を知るということ

自分の価値観、興味や才能はもちろんのこと、弱点や限界などに都度気づいていくことが大切になってくる。

「人の話を聞くのが好き」とか

「文章で思いを綴るのが好き」とか

「一人のほうが仕事の成果が上がる」とか


「緑の中へ行くと気を得られる」(私のこと)とか

などなど細かく上げだすとキリがない。

がくあじさい

まずはわーーっと書き綴る

私の話だが、長男に聴覚障害があり、長い間学校や病院の送り迎えを余儀なくされていた。

大学で美術・建築・デザインを勉強したのにも関わらず、働き盛りの30代に子供の世話ばかりしていることに少し焦りを感じていた。

子育て中も(幸せを得られるような)仕事に対してのエネルギーを自分の中でふつふつと温めていた。それはそうしようと思ったからでなく、成り行きがそうさせた。

「仕事」というより「自己実現」に近い願望で、

「自分にしかできないことで社会にでたい」と思った。

でもどうすればいいんだろう。。

何もわからなくて、朝長男を駅まで送った後、駅近くのカフェの屋上で大学ノートを広げ、まずは自分と対話することにした。  

送り迎えの合間に働いていたバイトで得た喜びや自分自身の発見(こんな事やらされたけど最初抵抗感があったのにやってみたらすごい楽しかった!とか)そういった事を1時間位思いつくまま書いていく。

この1時間くらいというのは大切なことで、10分を6回とか20分を3回ではいけない。

なぜなら、書き始めは周囲が気になったり、何を書いたらいいのかなあー。と文章にエネルギーが注がれてないが、30分40分くらい続けていくと少しづつ集中が深まっていくからだ。

そうなってくると直感→表現 直感→表現 ができてくる。楽しくなってくる。

また、書き始めのときには思いもしなかった遠い過去の経験などが出てくることもある。

2005年に書いたノート

感情が動いたことは是非ノートに綴る

腹がたったことは是非ノート上で愚痴るべきだ。

なぜなら、「腹がたったこと」というのは自分の感情・エネルギーが大きく動いたという証だ。
その時点においてエネルギーを吐き出すこと自体良いことだし、

それにその時は気づかなくても長年綴っていくうちに「腹が立つパターン」というのが見えてきたりする。(特に夫婦関係においてよくあるが)


例えば「なんでこんなに腹がたつのだろう??」と文章を進めていくうちに「自分」というものに気がついていくことにもつながってくる。

それは自分を知る上でとてもキーポイントになってくるからだ。本来の自分がどんどん顔を出してくる。

心がモサモサしていたが、ノートに思いを綴ることで、少しスッキリしてくる。

そして次の一歩を踏み出すことができる。その時は小さな1歩だけれど。

また、このノートを何年か続けていくと、おんなじことばっかり書かれてあったりするのをよく見つける。

自分のパターンとか本当に求めているものなど「自分」が見えてくるので今も継続している。