障害を持つ息子のひとりぐらし

息子は聴覚障害と少しの発達障害を持っている。

いくつになっても私にとっては「息子」は「息子」であり、まだまだ「できないこと」が目につく存在である。
それは彼に障害があろうとなかろうと関係がないのかもしれない。

こと子供に障害があった場合、親にとって「生活上彼にできないこと」がたくさん存在し、その分私がなんとかあげなくてはと親がしょったままそのまま年をお互い重ねるパターンも多いのではないかと思う。

「息子」という存在は、赤ちゃんのときからの延長線上にいる存在なので、
「これもできない」「あれもできない」と過保護になっている部分が私の中にあるのではないだろうか。そしてもしかしたら少しづつ練習を重ねればできるようになってくるようなことも、今は「できない」とこちらが勝手に決めつけてで私が手を出してしまっていることも多いのではないだろうか。と思うようになった。

出たがっている「芽」も親の一方的な思いで芽を出させないようにしていることがあるかもしれない。
小さな芽

とはいえど障害をもつ彼は「生活上のなんらかの支援」を確かに必要とする。

その「なんらか」をもっとはっきりさせ、自分でできることは下手でも自分で行い、できないことはできる人や団体に支援の依頼を自分で依頼する。というのが彼にとってとても必要なことなのではないか。と感じるようになった。

「私がやってあげなきゃ。私がいなきゃ」というのはこちらの勝手なエゴなんだろうなと思う。

そもそも順番にいくと親は先に死ぬことになっている。

このまま親元にずっと置いたまま年を取って
「練習したらできたかもしれないのに機会を与えられなかったのでできない状態でいること」だらけで私達が死んだときのことを想像したら、
若い今のうちから「生活力」を鍛えていくのが必要なのではないかと思った。

もしかしたらそれは同居していてもできることもあるのかもしれないが、どうも横で見ていられないタチなので(母はそういうものかもしれない)一人暮らしをさせたいと思うようになった。

それに私もいつまでも「母」としての私でいたいわけではない。

自分の活動を主軸に一日を送り、その上で子供や家族への支援(言葉が正しいかどうか別として)をしていきたいと常に思っているので。
たけのこ

なんでも子供がやりたいと思ったときが機が熟したときなのだと思う。

(息子が子供の頃の一人通学もそうだった。ずっと私が付き添って通学していたわけだが、ある時期「一人で行ける!」というようになったとき、私の心のなかで「あ。もう大丈夫なんだ」と感じたことを思い出した)

本人は一人暮らしをしたいと言った。

一人暮らし。
自分で食べるものの調達をし、ストック、管理をし、調理し、片付けをする。
部屋をきれいに管理し、必要なものを購入し、または正しく破棄する。
家賃や電気代など生活にかかるお金を管理する。

一緒に暮らすと私がやってしまう。

自分が暮らしやすいように快適にトータルで工夫して行かなくてはならない。
実際やらせてみて、何ができて何ができないのか見てみたかった。

そうこうしているうちに、ありがたいことにご縁で、駅から徒歩3分のマンションの部屋を貸してくださるお話を頂いた。
彼の通勤にも便利な場所で、家賃も非常に良心的な価格なので神様から頂いたお話だと思った。

部屋が4部屋あり、広すぎるので2部屋は私のアトリエに。後の2部屋は彼の生活スペースとなった。

彼が出勤してから私が作業にこの部屋に来、私が夕方帰った後彼が帰って来る。

マンションを半分私が使わせてもらっているので完璧な一人暮らしではないけれども、少しづつ様子を見たい気持ちもあったのでちょうどよかった。家賃も折半できるのでその点でもお互いありがたかった。

一人暮らしをスタートさせて1ヶ月くらいは(ひとり暮らしが)嬉しくて本を見ながら自炊をしてFBに投稿して自慢したりしていた。

買い物・調理(本やスマホ見ながら)・洗い物・洗濯・洗濯干し・ゴミ出しはちゃんとやっているようだ。

注意したのは、来た手紙に対しての事務処理。(障害のある人の市役所からの手紙は大切なものが多い。自分でアクション起こさないと受けられる支援も受けられなくなる)来た手紙を開けないでそのままそこら編に置く癖。いまは改善したが。
それもこれまでは私が全部やってたな。。。。

「ちゃんと作って食べないと栄養が偏るよ」と言ったか言ってないか忘れたが、「晩ご飯は作らなければいけないもの」と彼自身思い込んでしまっていたようだった。
仕事で疲れたときもなにがあっても「作らなきゃ」と頑張ってしまって疲れていたのである日
「そんなの適当でいいんだよ。作りたい時は作って、今日はスーパーの弁当でいいやーと思ったらそれでもいいし。」
と伝えたら、そこから適当晩飯が始まったように思う。(その臨機応変効かないところ彼特有である)

一人暮らしをスタートさせて半年が経った。

思ったよりいろんなことができているなーと関心関心。

まあ少々の事があっても「取り返しのつくこと」がほとんどである。

そんなある2月。夜少し大きな地震があって、マンションがものすごく揺れた。

彼はものすごく驚いてしまって夜の11:30頃だったにもかかわらず不安でお隣のご婦(70代後半)のピンポンを思わず押してしまったようだ。

(まあこれも考えようによっては「いざとなったら人に助けを求めることができるんだなー」と思ったが。)

後日そのお隣さんから管理事務所を通して私の携帯に電話がかかってきた。

夜地震の時その家に行った事自体は全然良かったそうだ。それよりもお隣さんいわく

「ねえ。あのあとすごい不安になったことがあってさ。
マンションが火事になったら館内放送、聞こえるの??深夜の放送って補聴器外してるんじゃないの??

20年前に一度ボヤがあってマンション全世帯に避難放送が流れたことがあったんだけど、そういう時あたしたちどうすればいいの??」

と奥さんに言われ、はっ。たしかに。と思った。

地震は揺れるので補聴器を外していても本人は気がつくのでアクションを起こすことができるが、マンション内の別の部屋の火事による館内放送はまず気が付かないと思う。

「いざとなったら叩き起こしてひきづってでも助けるわよ。」と。ありがたいお言葉。

いざとなったときのためにもご近所さんとの連携って大事だなあ。。と痛感した。

後日改めて万が一のときの打ち合わせをさせていただいた。

しかしながら大事に至らない経験は本当に貴重だなと痛感する。

今はひとり暮らし2年目。また問題点が見えたら一つづつクリアにしていけばいいかなと思う。

Blog