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作品・日々の観察・制作

どう生きるか・その1

あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って『わたしにはなんの楽しみもない』というようにならないように

コヘレトの言葉

自分の葬式でなんて言われたいか=どう生きたか

ある人の法事に参加した際のことである。

食事が準備され、頂く前に、故人と長い付き合いのある人が出席者に挨拶をした。

「〇〇〔故人の名前)は真面目な人で努力を怠らない勤勉な人だった。
家に帰っても子煩悩で子供たちの成長を楽しみにしていた。・・・(故人がいかに素晴らしかったかの話が続く)」

きっと素晴らしい方だったのだと思う。(私は実際故人にお会いしたことはない関係なのだか)

法事の場で故人の家族を前に悪いことは言わないものだし、それはそれで素晴らしいことなのだけれども、
私はこの時「自分が死んだ時(自分だったら)葬式でなんて言われたいだろうか?」とふと考えてしまった。

例えば「〇〇は一生懸命子育てし、良妻賢母で良き母で良き妻で真面目に生きた」

それだけだとつまらないな。

「子供のことよりも自分が優先でやりたいことがあったら家族ほっぽらかして夢中で好きなことをやっていた。」

とか

「もうホントバカで。そういえばこんな事が昔あった。。(故人のバカ話が続く)」

とかなんかいいなと想像する。

自分の葬式や法事で自分のバカ話で笑われるのってなかなかそれって良くないか???

決して「良い人」や他の雛形を真面目に全うしたのではなく、笑った後に「あーあ〇〇(故人)らしいよね。笑」と参列者に言われるような生き方である。

それは「どう生きるか」を少し私に考えることのきっかけを提示してくれた法事での一コマだった。

私らしく人生を全うする。それを理想形としたい。
単に長生きが良いとか、安定した暮らしが良いとか、決してそういうものでは測れない。

「私らしく人生を全うする」とはどういうことなのだろうか?

「私が本来もつ力を充分に発揮し、輝き、そして周りにも輝きを与えた人生」ということなのだろう。

その辺さらに深く考察してみる。