食べる瞑想・サイレントミール

食べる瞑想・サイレントミール

「森から学ぶ私たちのこれから Vol.6」という
高尾山で自然を五感をフル活用して感じ、植物や鳥の話のガイドを聞きながら山を歩き、お昼は薬王院で精進料理をいただくというとても贅沢なイベントに参加した。

登山し、薬王院についてランチの時間となった。
前回の話は→山歩き・内省

食べる瞑想・サイレントミール

天狗御膳

名付けて天狗膳。

「会話は楽しく」のハガキの表は鳥さんのイラストになっていて、たまたま座った席のその鳥のハガキの裏にその時のメッセージが書いてある。席について裏返すまでどんなメッセージが書いてあるかわからない。

今回のイベントでは
サイレントミール=食べる瞑想とのことで、食をより楽しむために黙って集中して味わう事をした。のであいにく食事中は楽しく会話することはできなかったのだけども。

精進料理なので昆布や椎茸のお出汁で、薄味なのに素材そのものの味や感触が最大限活かされている感じがして、
さまざまな食物の個性をより感じることができた。

 

黙々と黙っていただきながら多くのことに思いを馳せた。

しかしこの御膳宇宙は味・感触がとてもバランスよく配置されてるよなあ。。。

ヌメッとした感じ
そら豆を噛んだ時の密の高いコシコシした感じ
雑穀の入ったご飯を噛み締めた感じ。。etc…

一口、口に入れて噛みしめたとき、みずみずしさがそれぞれに違う。
このみずみずしさは大地から吸い上がられた水分なのか。。とか思う。

噛みしめたときパリポリと内側で音が響く。

聴覚障害があるとどう聞こえるのかなあ。(息子に聞いてみたが「わからない・意識したことない」との返答だったw)

また、この「美味しいと思っている思い」はどこから来るのだろう??

試しに鼻をつまんで食べてみたら味がしなかった。

食事って視覚・聴覚・嗅覚・味覚・舌触り総動員なんだなあと改めて思う。

今目の前に並んだ料理
このコシコシ感もヌメッと感も
さやえんどうの皮の中の小さなタネたちも
今口に入れたこの豆もどこかの場所で誰かの手によって世話され、
程よい時に収穫されて流通され御縁あって私に噛みしめられてるんだなあ。
など想像すると感慨深い。
トマトはトマトらしく
そら豆はそら豆らしく
そのものの持つ個性を生かして料理されている。
それって素晴らしい仕事(料理)だよなあと思った。

なぜか思考回路が人の場合(子育て)に置き換えてしまった。

自ら与えられた役割の中で
それぞれの持つ個性を活かしていくことって
至って単純で
至って難しいのかも。
子供の個性を見極めて
都度都度より良い方向に自然に導いてあげること
わかりつつもなかなか難しいなと思う。

なぜなら個性を生かすって相手のこと(素材・食材も)を理解しないとできないと思うから。

相手を理解するためにある程度の時間と経験が必要で。。。そんなことまで思いながらいただいていた。

そういった事を理解した上で所作(仕事や子育てなど)がシンプルになるというのは非常に美しいことなんだなと思う。

実はつい3-4日前も、瞑想友達とインドカレーランチ食べる瞑想をしてきたところだった。

身体があるからこそ味を楽しむことができる
と友人曰く。

いつも楽しんでいるつもりだけど
もっとさらに楽しみたい。
となれば
そのこと(食べていること)に最大限集中する必要性がでてくるなあと思った。
あ。
そういえば

私この地球のものを楽しむために生まれて来たんだった。と思い出した。

「楽しむ」=さまざまなことに対して「私はどう感じるか?」を認識することかなと今は捉えている。

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