すぐ近くにある美
常々美しいものに出会って感動したいな。とアンテナを張り巡らしている。
それは子供の頃からである。
「感動を呼ぶ美しいもの」はアンテナさえはればすぐ近くにあるものだなと最近つくづく思う。
このあたりは山あり、川もありで自然に恵まれたところで私は散歩に行くのが大好きだ。
例えば同じ距離を歩くにも
「車で行けるのにめんどくさいなー」と思うと、歩くのが一挙にしんどくなる。
逆に「一歩一歩歩くたびに足元の美しい小さな世界に出会える」と思うと歩くのは楽しくなる。
ちなみに、家を出て散歩を開始するとき、
「今日はじめてこの美しい地球に降り立った」というイメージをもってみる。
鳥の声が神秘的に聞こえたり、雑草の芽まで可愛らしく思えてくる。
神の愛を感じる。
道端の花の造形、作り、枯れた花や葉にも感じるものがあったりと、飽きない。
すぐ近くに小さな山があって、15年くらい前からこの山を散策するのが好きで、10年くらい前はほぼ毎日同じ道を歩いた。
同じ道を同じようにアンテナを張っていても、気づくものが違っていたりする。
あら。芽が出てきた。とか
ほんのつい先日まで、ただの枯れ枝に見えていたものから小さな黄緑色の芽が生まれてきている。
それだけで神秘で感動に値する。
育ちの早い芽もあれば、遅いのもいる。
誰も焦らせてはいないし、当然ながら早いのに価値があるというわけではないななどと感じる。
この芽は未来に向かっているな。
めっちゃしょぼんとしてるなあ。。。花の軸しおれ方が美しいな。。
雑草のような花だけど、小さな花よく見たら色彩きれい!!!!
つぼみの中にまだいっぱい埋まってるよ!
わお。なんちゅう形から花がでてるの。どうしてこの形、このタイミングで花を咲かせるのだろう。
寒い日の朝はこういった美しいものに出会える。
またある日は木のテクスチャの違いが面白く感じたりする。
忙しく足早に歩いたら気づかない。
こどものように意識しないと小さな美の感動に出会えない。
例えば「美しいもの」を見つけて
「あ。綺麗」と撮影するのが通常だが、最近、何かに意識を引っ張られたあと、
「え?なに???あ!きれい。」と撮影をすることがよくある。不思議だ。