スミコ幸福論1

幸せの断片

幸せとはなんだろうか?
古今東西人間である以上欠かせないテーマである。

解釈も一人ひとり違うし、「幸せ」の言葉自体の深みも様々である。
小さな幸せもあれば大きな幸せもある。
私は「幸せに感じること」=「真の自分と調和していること」なのかなと思う。

「真の自分自身」とは、普段自分の意見や考えというようなものも、辿っていけば親からの刷り込みであったり、周りの意見が自分の意見になっていたり。ということが多いがそれらを取りはらっていったところに「自分」というものがいるのかなと想像する。(案外取り払っていったら何も残らないものなのかもしれない)

ホントは私って何が幸せなの??そう自分に問いだだすことも多い。
まずは身近に感じた「小さな幸せ」を集めてみた。
森の中

小さな幸せ

    • 森林浴。木漏れ日の中にいるとき。無条件に幸せ。
    • 5月の優しいそよ風に触れたとき
    • 自然の中の水遊び(カヤックやラフティング)
    • 11月森の中の落ち葉の香りに触れたとき
    • 空腹時のおにぎりとお茶
    • おいしいスィーツを食べているとき
    • アーユルベーダのオイルマッサージを受けているとき
    • 柴犬リクをなでているとき
    • 娘と気ままなドライブ
    • 楽しい話・大爆笑したとき

こう眺めると

五感を満足させる経験・こころと身体共にリラックスを得ているとき
「得たいと思ったもの」が得られた時

そんな内容かな。

まあ一時的でも少しの工夫で作れるならこの「小さな幸せ」を作って自分を喜ばせたらいいなと思う。
小さな幸せを集める。そして日々些細な事でも、子供のようにあえて感動してみる。そうすると自分の中の幸せ回路が発動する。

自然の中で得られる幸せ

奥多摩湖カヤック

なぜ森の中を歩いたり、そよ風に触れたり、水遊びをすると幸せを感じるのだろうか???

言わずもがな、人間はそもそも「動物」で緑や自然の中にいることが人にとって調和が取れているから。である。
ほぼ500万年前から現在の人間(二足歩行のヒト科)が存在している。その後、生きる環境の変化によって進化しているが、 服を着て、飛行機や乗り物で移動し、インターネットで情報を入手し人とコミュニケーションをする現代人も身体の作り・中身は大昔からほぼ変わっていないそうだ。

私達にとって本来調和の取れた状態だからこそ自然の中にいるときは「幸せ」だと感じるのだ。

日々生活の中で感じる「風がきもちいい」とか「光が美しい」と感じられたことは、忙しい現代は見過ごしがちだが、
とても大切で感謝すべきことだと思う。

ペット・小さいものに対しての慈しみ

柴犬リク

去年息子のところ(=私の作業場でもあるが)に柴犬リクがやってきた。
(この話はこちらに →→→ 柴犬リク

この、ふわふわぬくぬくの犬をなでているときとても幸せな気持ちになる。
その幸せな感情はかわいい赤ちゃんに対しての感情と似ている。

ふわふわぬくぬくならぬいぐるみでも同じか。というとちょっと違う。
あくまでもぬくもりのある「生きているもの」で、私に「撫でられることを許した」存在のものである。

外側は犬を撫でている行為も、内側では「慈しみ」の感情があふれている。
そのあふれている「慈しみ」の感情が自分にとって気持ちがいいのだと思う。

モテリク

5月に犬・猫イベントの「すまいるフェスタ」に息子が出店した際、リクも連れて行った。
子供達や、お姉さんから「かわいい。。。。ナデナデしてもいいですか???」
と言われ、長時間に渡って撫でられ続けるモテリク。

同じ人達がずっとずっと長時間ナデナデしていた。

「癒される」という言葉があるが、きっとその人達の中に「気持ちいいホルモン」が出ていたのかなと思う。
昨今騒がれている脳の中の「オキシトシン」が分泌されているのかもしれない。

ちょっと大きな幸せ

上のリストの多くは、
例えば美味しいものをいただいたりとか、緑の中にいる時とか、犬を撫でているときとか、、その瞬間はたしかに幸せは得られる。
でもその幸せは一時的なものだ。他にも幸せリストを挙げてみた。

    • 自分のデザインしたジュエリーや作品をご納品後愛用してくださっていることを知ったとき
    • 海外から作品のご注文を頂いたとき(ご注文は国内でも嬉しいのだが作品が国境を超えるというところが嬉しい)
    • 思ってもみない美しい写真が撮影できたとき
    • 自分では出来ないと思っていたことがひとつひとつクリアにしていくことで思わぬ成果を上げたとき
    • できなかったことができるようになったとき
    • モヤッとしたことが文章化出来たとき
    • 息子や娘が家族以外(友人やお客さん・仕事先であったり、ご近所の方など)の人から愛されていることを知ったとき

最初、この「ちょっと大きな幸せ」リストも小さな幸せと一緒のリストに挙げていた。
でも一時の身体への幸せなどとは明らかに質が違うので分けることにした。上の「ちょっと大きな幸せ」は、

自我では難しいと思っていたことや期待もしていなかったことがなにか他の大いなる力によって成し得た時の感動
長い時間かけて成し得たこと(制作・子育てなど)が成就したような気持ちになった時

その幸せに至るまでの道のりの中には一見「幸せでないように見えること」も多々あった。
そう思うと、「一見望ましくないこと」も自分の道の中にあるならば、光に変わるものもあるのだとつくづく感じる。

普段あえてこういったことをリストアップしたりはしないが、あえて挙げてみることで「私」が見えてくるような気がする。

続きは次回

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