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作品・日々の観察・制作

祈り

絶望感にさいなまれた時
もうにっちもさっちもいかない、どうしたらよいのかわからない時、
ひたすら祈るしかない時がある。

でもその「祈り」こそが最も必要なことなのだと思う。
お祈りは自らの中の神とつながる手段だ。
人の力だけではなんともできないことに遭遇したとき、自分を超えた超越的なものに対して祈る。

一口に祈りと言っても様々な祈りの形態がある。

お正月に神社でお願い事をするのもお祈りと捉えられる。
他宗教的な祈り・感謝の祈り

もしかしたら祈りの時間そのものを取らないまでも、
日々の家事・仕事・人々との会話など日常の生活の場面での一瞬一瞬、幸せを感じながら送ることも祈りというのかもしれない。

情報過多で忙しすぎる現代、人々は日常の心配事や不安でいつも心が一杯だ。

今目の前の取り組んでいることを丁寧に愛を込めて行う。
もしかしたらそれだけでいいのかもしれない。それが祈りなのかもしれない。

祈りは内なる自分との対話とも言える。

自分の中の神と対話するということは、
神に祈る。というよりも、神との一体化を認識すること=本来人は神であるということを認識することなのかもしれない。

免疫力が上がり、精神的な健康を得られるのだと思う。(ウィルスへの免疫力アップにもなりそうだが、)

私の息子は生まれつきいくつかの障害を持って生まれた。

成人した今は心配していないのだが、生まれつき背骨に奇形があって(側弯)
その側弯が成長に従って進行してしまうと運動機能・生命機能を脅かすと言われた。

医者からは手術も出来ない、何も施すことが出来ないと言われ、私は成人になるまで何年も夜寝る前に祈った。

あれから25年。障害自体は消えたわけではない。
背骨の奇形は相変わらず存在してはいるが、心配していた側弯の角度は進行せず、曲がったものは曲がったなりに筋肉がつき、
今では仕事もしているしひとり暮らしもしている。いまのところ生活に支障なしである。

このことを通して私は祈りというものは通じるものだと実感した。

祈りの効果で有名な話では
アメリカで393人の患者を2つのグループに分け、
一つは治療のみのグループ(祈られないグループ)、もう一つは他者からの祈りのあるグループに分けた。
祈りのあるグループは一人の患者に対して5-7人が毎日離れた場所から祈りを捧げたそうだ。(患者と祈る人との面識はない。いわば知らない人に対して祈っていたことになる)

その結果、2つのグループを比べた時に祈りのあったグループは明らかに症状が軽くなったという結果が得られたそうだ。

祈りは人間が生み出しうる最も強力なエネルギーである。
それは地球と同じ現実的な力なのである。
医師として私は数多くの人々があらゆる他の療法で失敗した後に
祈りという厳粛な努力によって疾病や憂鬱から救われた例を目撃している。
アレクシス・カレル(ノーベル生理医学賞受賞者)

では何を祈ろうか?

自らの幸せへの道?
自己実現?
世界平和?

自らを含めた世界への平和というのがいいなあ。

様々コロナや地震など不安なことの多い昨今、自分達、日本、世界の人々が幸せな人生を送ることができますよう祈りたい。